人形について

食器も作っていますが、、

人形(置物)も時々制作しています。

 

今回作ったのはスポーツをテーマに。

 

↓ テニス・バスケットボール・サッカプレイヤー達

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↓ ボクサー
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↓ サッカーボールくん
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バスケットボール選手の後ろ姿はこんな感じです。
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作り始めたきっかけは、以前長崎県波佐見焼の窯元で働いていたのですが、

私が入社してすぐにそこの社長さんが、

まずは「土遊びをしなさい」

「ロクロは後からでよか」と。(波佐見弁です)

私に教えてくださいました。

そこから人形やオブジェを作るようになりました。

 

 

波佐見町は陶磁器の量産が主流の町で、

ほとんどが機械を使って生産されています。

そんな中で社長は、

一番大事なのは土から生まれる可能性だぞ。

全ては土遊びが原点だ。

作ることは楽しいんだ。

 

波佐見は量産の町(世界)だからこそ、

それを忘れてはいけないという思いだった気がします。

 

 

 

そういった助言がきっかけで、

土を触って自然と出てきた形を楽しむ事を学びました。

 

なので私の焼き物の原点は実は人形作りかもしれません。

 

 

以前は量産する波佐見の窯元(会社)で働いていたので、

その世界しか知らなかったのですが、

今改めて自分で制作を始めて、

個人の作家の世界は全く別の世界だなと日々感じさせられます。

 

新たに一から勉強です。

 

そんな中でまだまだ未熟な私に、手を差し伸べてくださる方がいて、本当に有難いなーと

今回の展示会が始まって再確認しています。

 

そして有田の学校で学んだ事や、以前働かせて頂いた窯元で教わった事がなければ、今の私はいません。

 

色々な人にお世話になりました。

ありがとうございます!

 

 

謙虚な気持ちを忘れず、

これからも制作を続けていけるように、

日々精進し一歩一歩進んで行こうと思います。

 

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Tシャツ完成!

ウメノ雑貨店さんでの展示会が22日(土)から始まります。

 

その展示会に合わせて、

ウメノさんのご協力の元、

Tシャツが完成しました〜〜!

 

一枚目「モナリザ

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2枚目「クンフーくん」

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クンフーくんは、絵を描いた時にこれをTシャツにしようと最初から決めていたのですが、

 

モナリザの方は、あれがいいかな?これがいいかな?と私の脳内は大混乱したあげく、

結果的に最初に出たモナリザ案に決定しました。

 

今回は採用されなかった案達↓

またいつかどこかで使おうかな!

 

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Tシャツを作れた事が本当に嬉しい。

ウメノさんありがとうございます!

 

タグも可愛く作りました♪

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大事なことを忘れていました。

お皿も同じ絵柄をモチーフに制作しました。

モナリザ

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クンフー
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↑戦っています。

もうすぐ展示会。

あっという間に、ブログの更新が一カ月もあいてしまった〜!

 

今は展示会の為の作品作りの追い込みです。

 

空もいつの間にやら秋空に。。。

 

 

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今週9月22日(土)からは、八女での展示会がいよいよスタートです。

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うさぎの箸置きを作ったり、、

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もちろんお皿や、今回も人形を作っています。

 

 

そして、、、

ウメノさんのお話がきっかけで、

初めてTシャツを二種類作りました!

夢が一つ叶いました〜!!

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お近くの方は是非、足をお運び下さい^^

よろしくお願い致します。

 

9月23日(日)の14:00あたりから、在廊予定です。

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川原佳子 展示会

期間:9月22日(土)ー9月30日(日)

定休日:火曜日・不定休あり

 (ウメノ雑貨店のsns等で営業日のご確認よろしくお願い致します)

時間:11:00ー16:30

場所:ウメノ雑貨店

         〒834-0031 福岡県八女市本町173

Facebook:

https://m.facebook.com/umenozakkaten/?locale2=ja_JP

 

夏の途中

気づけば8月も半分過ぎた。

 

来月は、イベントの参加と展示会を行う予定になっている。

 

準備のために制作の追い込みをスタートする。

 

ということは、、、

私の夏はもう終わりなのかと、切ない気持ちになった。

 

しかし、イベントと展示会が始まる頃には、

涼しくなっていると思うと嬉しい気持ちにもなる。

 

季節が巡る速度がだんだんと早くなる。

 

 

来年はもっと肩の力をを抜いて制作を楽しめるようになれたらいいなと思う。

 

うちの飼い猫もだいぶ成長した。

 

貰ってきたばかりの頃↓(去年10月)

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現在↓
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昨日見た景色。

 

昨日は姪っ子が誕生した。

福岡市内の病院に駆けつける。

ここは病院の駐車場の裏からみた景色。

船の赤と景色全体の色合いがいい。

 

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この港と高速道路に車が行き交う姿は、

プラレールの実物大の世界のようで、

とても好きだ。

車がちっぽけに見えて、まるでおもちゃのよう。

 

 

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夏の夕立が来そうな空模様。

 

 

雷が空に響いた。

 

 

 

 

目黒キョウジュと銀河鉄道の夜

今年の四月から毎月一回、目黒 実先生を囲んで

宮沢賢治の物語を深めたり、詩や物語を創作する「物語スコーレ」に参加している。

 

目黒先生との出会いは、一年程前になる。

 

宮沢賢治について、目黒先生と九州大学の先生が語るというイベントがあり、

それに一緒に参加しないかと、友人のはるなちゃんが誘ってくれたのである。

目黒先生は宮沢賢治を愛している。

 

目黒先生は沢山の活動をされていて、何をしてきた方なのかといったら、

私はほんの少ししか知らない。

出身は東京で、出版社を立ち上げたり、絵本カーニバルを開催したり、近年、絵本を数冊出版している。

絵本の挿絵は荒井良二さんやイラストレーターの宇野亜喜良さんなどが担当されているという豪華なラインナップだ。

 

目黒先生はもちろん肩書きだけを聞いても凄いのだが、お会いしてお話を聞くとやはり先生そのものが魅力的だ。

そんな目黒先生のお話を聞くのが毎回楽しくて仕方がない。

 

 

今月は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読み深める会だった。

この集まりの前に「物語を読んでおくこと」

となっていたが、

いざページを開くと、物語に入り込めず立ち止まってしまう自分がいた。

 

 

「あれ?こんなに難しい話だっけ?」

 

子どもの頃に何かしら目にしてきた銀河鉄道の夜

お話も映画でみたり、劇でみたり当たり前に知っているつもりだったが、

本を読もうとすると進まないのだ。

 

知っていると思っていた物語が実は「知らない物語」だったのだ。

 

宮沢賢治に対しては何故か分からないのだが、

昔から興味はあった。

他の作家にはない惹かれる部分がある。

 

 

この日はまず、

銀河鉄道の夜をリレー形式で朗読をする事となった。

参加者は15人ほどだったと思う。

 

朗読をスタートしたのは午後2時からだった。最終的に終わったのが午後4時を過ぎていた。

思ったより物語は長い。

 

銀河鉄道の夜の本は、それぞれ自分の持っている本を持ち寄る形になっていた。

なので出版された年代がみんなそれぞれ違う。

 

朗読のリレーを始めてから2時間程、時間がたち物語もいよいよ終盤に差し掛かる。

 

朗読の箇所を目で追っていると、突然自分の持っている本の内容と違う部分が朗読され始めた。

みんな「あれ?」といった表情を浮かべたが、そのまま物語は進んでいく。(目黒先生と数人のぞいて)

(そして丁度昔の本を持っている方にこの部分の朗読の順番が来たのが今思えばラッキーだったと思う)

 

知ってる方も沢山いるとは思うが、

どうやら「銀河鉄道の夜」は彼の死後、

3回も内容を変更されながら出版されているのだそう。

 

なぜなら、宮沢賢治は「未完こそが完成」という考えがあったようで、何度も何度も修正を加えて形を変えてきたらしい。

その為、原稿の正しい形というのが確かではなく、時代とともに研究・解明され今の形が最終形態とされているようだ。

 

初期に出版された本に、

「セロのような声のブルカニロ博士」という人物が出てくる。

カンパネルラが消え去ってしまった後に博士が登場し、

セロのような声で主人公ジョバンニに語りかけるのだ。

(今、本屋さんに並んでいる新装版には載っていない)

 

「あらゆる人のいちばんの幸福を探しなさい」

「お前はもう夢の鉄道の中でなしに本当の世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐ歩いて行かなければいけない。

天の川のなかでたった一つの本当の切符を決しておまへはなくしてはいけない」

 

詳しくはこちらで読むことができます↓

是非興味がある方は読んでほしい。

私はこんなに内容が違う事を全く知らなかった。

(銀河鉄道 初期)

https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/46322_24347.html

 

 

その内容が私には響いた。

遠くに感じた物語がより近くに感じた瞬間だった。

時空を超えて、今ここにいる自分の耳元で語りかけられたように聞こえた。

 

最終的にはこの部分は物語に入れなかったようだが、

宮沢賢治という人の人物像がフッと伝わってくる気がした。

宮沢賢治自身、

これは一体誰に向けたメッセージだったのだろう。

 

謎は深まるばかり。。。

(色んな説があるそうです)

 

宮沢賢治は22歳の時に、

自分は残り15年しか生きられないだろうと言っており、

本当に15年後に亡くなったそうだ。

まさしく作品と同じように不思議な人だ。。。

 

 

〜〜〜 〜〜〜〜 〜〜〜〜 

純粋で不器用な魂は美しい。

 

私はそう思う。

 

なので宮沢賢治の作った作品達は

輝きを放ち続けるのだと思う。

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ほどきのあの子

 

「ほどきのあの子」こと

 

 

私の焼き物の学校時代からの友人、

文ちゃんだ。

文ちゃんとは8年くらい前に1年半ほど、

一緒に暮らした仲だ。

 

 

二人で泣いたり笑ったり、お金のない生活を支え合った。(むしろ支えてもらうばかりだった)

 

 

この頃は人生で一番お金がなかった。

バイトしながら生活費と学費を稼ぎ

どうにかこうにか、文ちゃんに部屋をシェアさせてもらっていたので、この苦しい時代をやり過ごす事が出来た。

 

 

文ちゃんの影響?で同じホンダ・スーパーカブを二人で乗り回した。

同じ家に住み、同じ原付に乗る。

もうあの頃にしか流石にできない。

 

 

文ちゃんは我が道を行く面白い人で、
「これだ!」と決めたら、インドやタイに一人ですっ飛んで行った。

 

 

そんな彼女は数年前にマッサージをタイで習得し、熊本市で「ほどき」という屋号で活動している。

今や文ちゃんは心と身体を癒す魔法使いとなった。

 

 

魔法使いから、今年の初めに依頼が来た。

それはパンフレットを新たに作りたいとの事だった。

私がデザインをお手伝いする事となった。

(詳しいパンフレットが出来る経緯はほどきブログをご覧下さい →http://hodoki.jugem.jp/?eid=106

 

 

これはイメージ案

<初期>

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<最終>
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今回初めてセルフシルクスクリーンに挑み、

やっとの事で、7月の中旬に完成する事が出来た。

 


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(この出来上がりは、ほどきで配布しております)

 

 

自然や環境の事にとても敏感で優しい文ちゃん、

パンフレットの紙は、

広島の千羽鶴再生紙を選んだようだ。

 

 

文ちゃんは、

これからも沢山の人の「心と身体」を優しくほどいていくだろう。

今後の文ちゃんの活動が楽しみだ。

 

 

文ちゃんありがと〜!

 

 

 

 

焼き物に行き着くまで①

そもそも自分の感情を言葉で表現するのが苦手な私は、
自分の感情を素直に表現できる場所は、子どもの時から絵を描く事だった。



小学生時代はマンガの絵を真似してみたり、
動物の絵を模写したり、絵を描くのが日常だった。
机の引き出しは、父が職場からもらってきてくれた白いコピー用紙でいっぱいだった。

(印刷で出た余分なコピー用紙)

 


学校から帰ってきて友達と遊ばない日は、すぐに自分の机に向かって、
宿題は後回しで好きな絵ばかりを描いていた。
(残念ながら勉強には全く興味が持てなかった)

 


中学生からは部活動も始まり、あんなに描くのが日常だったはずの絵を、ぱったりと辞めてしまった。
そのかわりに、私の頭の中はその頃流行っていた音楽でいっぱいとなり、
意図も簡単に絵から音楽にシフトしていった。

(この当時はモンゴル800などのバンドブームだった)


そんな感じのまま高校生活を送り、その次の進路は音響系の音楽の専門学校へと進学する。

入学し一年経つと、あっという間に就職活動時期が近づく。

一般企業への面接をいくつかしたが、

今思うと両親には凄く申し訳ないが、

「自分の進みたい人生はこっちではない」と明らかに確信だけはあった。

 

 

ある時、専門学校でニューヨークのバンド「Yeah Yeah Yeahs 」のライブ映像を見る授業?があった。

https://youtu.be/F-v75E9zxUs

 

 

私はこのバンドのフロントマン、カレンOの刺激的なパフォーマンス、ファッション、楽器はギターとドラムのみなのだが、全てが新しく感じ衝撃を受けた。

(ちなみにカレンOは映画「her」でthe moon songという曲を提供している)

 

これは音楽というより、アートだと思った。

 

そこから、やはりもう一度美術の勉強をしたいという思いに変わっていった。

 

 

その頃は絵なんてすっかり描くことはなくなっていて、

もはや忘れていたのだが、心の片隅で静かに眠っていた物が、この時目覚めたのだ。

 

 

さてここからどうしようかと考え、

とりあえず就職をして、自分で美大の通信に行こうと初めは思いついた。

しかし、それを母に話すと「通信を受けた所で物にならない」ハッキリと言われ、どうしようかと途方に暮れた。

 

 

そこでそんな母から助言があった。

通信に行くぐらいだったら、佐賀県の有田で焼き物の学校があると。

そして県立なので学費は安い。

知り合いの子供が行っていたと。

 

 

「陶芸???」

頭に中でハテナ?が広がり、パンフレットをまず取り寄せる。

私は今の状況を変えて、何か作れるのだったら何でもいいという心境で、これも何かの縁だと思う事にした。

 

 

これが始まりだった。

 

 

焼き物の知識も何にも知らずに学校に入学した。(陶器と磁器の違いすら分からなかった)

両親は知らない方が案外いい事もあると私を押してくれた。

 

 

初めて焼き物に触れたのは、実は小学校1年生の子ども会での陶芸体験だった。

3年生くらいの時も陶芸体験が子ども会であったのだが、印象はむしろ最悪だった。

 

「これは私の手におえん」

 

心の中でモヤモヤした感情でいっぱいになり、言うことを聞かない粘土に、言うことを聞かせようと土を乗せると、どんどん形が崩れていくばかりだった。

(他の子の方が明らかに上手だった)

 

「絵なら楽しくできるのに、これは私に向いてない」

子どもながらに激しくそう思った。

 

そして焼き上がった作品が自分の元へ届く。

 

「ん?!なんだこの色?」

 

それはそれは渋い、おじさんの好きそうな土肌が見える緑(灰釉)に焼きあがって、私の手元に到着したのであった。

(むしろおじいちゃんの湯のみ?っていうくらいの渋さ)

 

子どもだったので、綺麗な可愛い色を期待していた私は、全てにガッカリしたのであった。

 

 

こんな最悪な印象だった焼き物が、

今の自分と繋がっているなんて、とても不思議な気持ちでいっぱいだ。

そして焼き物を始めて、あっという間に10年もたってしまった。

 

 

いくら頭で考えても、自分の未来は想像を超えていく。

 

今は焼き物と出会えた事に本当に感謝している。

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